 

【前編】
 暑い夏の日だった。
 日頃お世話になっている出版社の編集者さんから一本の電話があった。
 「ドラマCDを作ろうとしてまして」
 私は、おかしな転生の出版に際し、一つのお願いと、一つの約束をしていた。
 約束とは「協力を惜しまない」ということ。お願いとは「努力を惜しまない」こと。
 もう二年以上前の話だ。
 自分自身が小説を書くことに関してであれば、憚りながら多少の経験があった。しかし、小説を書くことと、書籍を作るということは別物。本を作って売るという商売に関しては全く分からないど素人。当時は、そう自負していた。
 だから、本を売るのに必要なことがあるなら、遠慮なく言って欲しい。作者の非協力で売れなかったとなっては出版社も困るだろうし、下手をすれば最初に出版してそのまま続巻が出ないということも有り得る。そうなっては、読者の方に楽しんでもらいたい私としても不本意で、楽しんでくださっている読者にも悪い。私自身、楽しみに購読していたシリーズの続巻が出なくなった経験があり、あれは辛い。読者として、悲しくなる。
 ありがたくも拙作で楽しんでもらえているなら、私の作品でそんな想いはさせたくない。
 だから、何でも言って欲しい。最大限の協力をする。構成の変更、内容の修正、販促の執筆、必要な加筆、いっそ全部書き直すようなことでも構わない。何でもやる。
 その代わり、営業努力を惜しまないでほしい。売る為の工夫を惜しまないでくれ。
 そんな約束とお願い。
 懐かしい話だ。
 幸いにして電話を受けた時点で、既に七巻まで出版しており、おかげさまで多くの読者に楽しんでもらえていたと思う。そうだったら嬉しい。
 沢山の方の支えもあって私の心配は杞憂に終わり、次も楽しみにしています、という声を頂くこともあった。本当にありがたい話だ。
 既に約束も笑い話になっているのではないか。そう思っていた時の電話。
 「いいですね、やりましょう」
 私は即答した。
 有言実行は美徳というのが、私自身の道徳である。確かに昔、出来る限りの協力をすると言った以上、自分の言葉には責任を持つべき。そう思っての答えである。
 しかし世の中、私のような善良で誠実な人間ほど貧乏くじを引くように出来ているらしく。
 「それで、脚本なんですが、古流さんに書いて貰いたいなと思ってまして」
 まさか電話で自分の耳を疑う経験をしようとは、この瞬間まで思っても居なかった。
 字面を見れば確かに日本語なのだが、内容を理解するのに相当な時間を要したとここに記録しておく。
 脚本家という肩書が世の中に存在するように、脚本を書くというのは専門家の仕事だ。
 漫画家とイラストレーターが、似て非なるものであるように、脚本家と小説家も又、似ているようでまるきり違うもの。少なくとも私の認識はこうだった。今でもそう思っている。
 「え? 私は脚本なんて書いたことないですよ?」
 「大丈夫ですって。出来ますよ」
 今でも思うのだが、あの編集者の自信はどこから来ていたのだろうか。産まれてこのかた、脚本などというものに一切触れてこなかったど素人に、やれという。
 ちょっと待てと。
 無茶という日本語を知っているのかと言いたかった。編集者のくせに常識という単語を知らんのか。いや、知らないに違いない。
 軽い感じで無茶を言ってくる。電話口の向こうで、銀髪の少年が居るのではないかと錯覚したぐらいだ。
 しかし、何度も書き置くが、どんな協力でもすると過去に言ってしまった以上、毒を食らわば皿まで。
 何処まで出来るか分からないが、やれるところまでやってみよう。
 などという意味合いのことを伝えてしまった。どんな言葉を話したかは既に記憶の彼方に薄れてしまったが、多分意味はそんな感じだったはず。編集者の口車にのせられてしまった。
 もしかしたら、私を丸め込むことも織り込み済みだったのだろうか。
 やると決めたからには、良いものを作りたい。そう思った。我ながら、してやられた感がある。
 まず、登場人物をどの程度見込むかと話しあった。
 何でも登場人物の多寡で制作コストが変わってくるという話で、多すぎてはいけない。かといって、少なすぎてはそもそも話もつまらなくなる。
 ペイストリーは当たり前として、リコリスやカセロール、シイツと言った全編を通して主要な登場人物はすぐにも決まった。問題はそこからだ。
 既におかしな転生も七巻まで刊行し、どういう話を使うかで、登場人物も変わってくる。
 過去のどこかの部分にフォーカスを当てていくのか、或いは完全に新しいストーリを作るのか。紆余曲折の話しあいの末、ある程度を回想シーンとして使い、メインは八巻九巻の内容でいこうと決まる。この時は、八巻は頭の部分だけしか書いておらず、九巻に至っては影も形もないにも関わらずだ。
 存在しない未来のものを規定として進める。空手形どころではない。鬼も盛大に笑うだろう。電話の向こうで。
 ここまで無茶な話し合いだと、もうどうにでもなれという気になって来る。
 内容についてが粗方決まり、それじゃあこれで動き出します、と言われた時には、既に二時間ぐらい電話で話し込んでいた。
 長い会話で、お互い疲れている。そろそろ電話も切ろうかという雰囲気がした頃だったろうか。
 私には、その時点でどうしても聞いておきたいことがあった。
 言っておかねば駄目だ。それで仮にこの企画が無くなってしまうにしても、言わねばならない。そう決心して、意を決して発した言葉。
 「で、ドラマCDって何ですか?」
 実話である。
(つづく)